究極のツタンカーメン

5月5日に、NHKの地球ドラマチックで「究極のツタンカーメン」(2013年イギリス)の番組が再放送されました。これはエジプト学者クリス・ノ-トンがツタンカ-メン王に関する様々な謎を科学的に解明する番組です。ツタンカーメンの埋葬には異例な点が多いことが知られています。例えば

・墓はなぜ手つかずの状態だったのか?

・なぜ墓がこんなにも小さいのか?

・ミイラに焦げた跡がある理由は?

・ミイラに心臓がなかった理由は?

さらに、有名な黄金のマスクも、顔と頭巾が別人のものだと判明しています。若きエジプト学者が、最先端の科学技術を駆使して、多角的な観点から少年王の謎解きに挑みました。

ツタンカ-メンの父親アクエンアテンは唯一の太陽神を信仰する宗教改革を行い、首都をテ-ベ(ルクソ-ル)からアマルナに移しました。ツタンカ-メンはアマルナで姉と結婚し9歳で即位しました。しかしアマルナでは疫病が流行したので、彼は宗教を元の多神教に戻し、テ-ベに還りました。彼は自分の名前を「アテン神の生きる姿」ツタンカ-テンから「アメン神の生きる姿」ツタンカ-メンに改めました。

ツタンカ-メンのミイラには心臓がありません。それは彼が外地で参戦した時、戦車の車輪に惹かれて、肋骨と心臓を負傷して死亡したからです。ツタンカ-メンには子供がなく、指定後継者は戦場にいたため、権力の空白が生じました。歴代のファラオの相談役であったアイ(70歳)は、ツタンカ-メンの妻と婚姻し、王位を奪ったのです。アイはツタンカ-メンを急いで自分の小さな墓に埋葬したため、様々な奇妙なことが起こりました。

布に浸した亜麻仁油が十分乾かないままに棺に入れてしまったので、油が発火して、ミイラが焦げてしまったのです。また壁画の乾燥が十分でなかったため、壁画にカビが生えてしまいました。ツタンカ-メンの黄金のマスクは、本人の顔の部分と、耳と頭巾の部分は別のものであり、両者は鋲で留められ溶接された跡があります。耳にはイヤリングの穴を埋めた痕跡があり、それは他の女性の王族のものでした。頭巾の青い縞は色ガラスですが、目の周りはラピスラズリ石が用いられています。これは急いで黄金のマスクを用意したからでしょう。他のファラオの装飾品を無理に入れたので、狭い通路には広くするために削られた跡が残っています。アイがツタンカ-メンに魂を入れる口開けの儀式を行った様子が壁画に描かれていますが、時間がなかったので壁画に書き入れるべき文字が書かれていません。

結局アイの政権は4年しかもちませんでした。アイはツタンカ-メンが埋葬されるはずだった大きな墓に埋葬されました。王位継承者の名前を書いた壁には、ツタンカ-メンとその父の名とアイの名が書き入れられませんでした。そのためツタンカ-メンの名は後の盗掘者から隠されたのです。

ツタンカ-メンが埋葬された紀元前1327年の春でした。その年の夏には、鉄砲水が起こり、王家の谷は深さ1m以上の土砂で覆われ、土砂は強い日差しのため、固い石灰岩となりました。3か月の間ツタンカ-メンの墓の6割は盗掘にあいましたが、大きな黄金のマスクは盗掘がばれるので、盗まれませんでした。ツタンカ-メンの墓は王家の谷の一番低いところにあり、土砂に埋もれたので盗掘から免れたのです。

 私もツタンカ-メンの墓を見ましたが、あっけないほど小さなものでした。エジプト人ガイドの同級生は、ルクソ-ルのカルナップ宮殿に住んでいました。宮殿の天井には料理した時についた煙の跡がついています。当時カルナップ宮殿は砂に埋もれていたので、彼はその建物が宮殿だとは知らずに住んでいたそうです。エジプトは空気が乾燥していて、すぐに喉が渇いてしまいます。日本では当たり前に買える牛乳がなくて、ヨ-グルトしか売っていませんでした。