1.大陸縁の分裂と移動

3000万年前のユーラシア大陸の沿岸部には草原が広がっており。パラケラテリウムなどの大型哺乳類やマチカネワニなどの爬虫類が生息していました。太平洋プレ-トの西端部はユーラシア大陸の縁で深く沈み込んでいました。太平洋プレ-トの西端部は1.3億年と古く、厚さは100kmと冷たく重かったので、深く沈み込んでいたと考えられます。大陸縁の地下では、プレ-トによって押しのけられた深部の高温のマントル(カンラン岩)が上昇し、断面において時計回りにマントルの対流が生じたと考えられます。

 

2017年にコンピュ-タシミュレ-ションによって、対流により浅部のマントルは沈み込むプレ-トを逆方向に押し戻し、プレ-トが沈み込む海溝は徐々に大陸から離れて行くことが示唆されました。これを海溝の自発的後退といいます。ちなみに2018年にはプレ-トが褶曲して沈み込む海溝では、プレ-トに含まれる二酸化炭素の影響で褶曲部付近のプレ-ト直下のマントルが融解し摩擦が低減して、沈み込みやすくなっていることが報告されています。

大陸の縁はマントル対流により引っ張られて、亀裂が生じ、拡大したと考えられます。2500万年前に海水がこの巨大な裂け目に入り込み、日本列島の原型が生まれました。高温のマントルの上昇により、日本海の海底プレ-トは900℃以上の高温になっていたと考えられています。こうした現象は、現在の小笠原諸島の火山島付近の地下において、地震波速度の小さいマグマ領域が観測され、その地域の溶岩に高濃度のZrが含まれており、Hfなどの存在比からプレ-ト由来のジルコン(融点900℃以上)が、沈み込み時の高温で溶出してマグマに混入したことが解明されています(2018年)。

引き延ばされた日本海の海底には大陸と平行に多くの亀裂が入り、枕状溶岩を産出しました。日本海の海底火山の噴火により火山灰が大量に堆積しました。青森県の仏ケ浦では白い火山灰からできた地層が浸食を受け、奇妙な岩石が立ち並ぶ絶景が見られます。富山県の沿岸部には水深1000mの深海が残っており、深海生物のホタルイカがとれます。亀裂には金を溶かした熱水が入り込み、佐渡には金鉱床が出現しました。大陸から引き剥がされたために、日本海側には絶壁の景勝地が数多く形成されています。日本海の中央にある大和塊は大陸の一部が移動してできた海底台地です。

1900~1600万年前にかけて日本列島の原型は大陸から離れ、現在の位置に移動しました。西日本は陸地でしたが、東日本の殆どは海底下にありました。西日本はフィリピン海プレ-トによって引っ張られ、東日本は太平洋プレ-トによって引っ張られたために、両者は観音扉を開くように少し回転しながら移動しました。1500万年より古い溶岩の磁化方向を調べると、東日本と西日本で地磁気の方向がずれていることが、その回転移動の証拠となっています。飛騨地帯の片麻岩は大陸で形成されたものですが、同じものが韓国でも見られます。飛騨川の飛水峡のチャ-ト岩中には、1億年前の放散虫の化石が見られますが、これと全く同じ化石を有するチャ-ト岩がロシアのハバロフスクで見られます。これらは日本列島が大陸の一部であった証拠であると考えられています。

日本列島の誕生の物語

2017年7月に放送されたNHKの番組「GEO JAPANグレ-トネ-チャ―」の再放送で、日本列島誕生の物語が紹介されました。大陸や島は海洋底のプレ-トの運動によって形成されます。日本列島はいつ頃どのようにして形成されたのでしょうか?日本列島の形成過程は長い間謎に包まれていました。近年の研究調査により、日本列島は4つの稀有な地質学的事件により誕生したことが解明されつつあります。

日本列島の原型は、今から3000万年前に太平洋プレ-トの運動によってユーラシア大陸の縁が裂けて、裂け目が拡大して生じ、1500万年前に現在の位置に移動しました。東日本と西日本になる部分は別々にやや回転しながら移動しました。当時、東日本の殆どは海面下にあり、西日本は山がなく乾燥したステップ平原でした。通常大陸が裂ける場合は、亀裂は中央部で生じます。なぜなら大陸に覆われたマントル部は放熱し難いので、大陸の中央部が高温になり、マントルで高温のプル-ム上昇が発生しやすいからです。大陸の縁が裂けたのは、太平洋プレ-トが最大のプレ-トで、大陸の縁が西端に位置していたからだと考えられています。

次に引き延ばされたフィリピン海プレ-トの影響で、太平洋側の各地に巨大なカルデラ噴火が起こり、西日本に山地が形成されました。さらにフィリピン海プレ-トの運動方向が北から北西に変化し、太平洋プレ-トの沈み込み帯が大陸方向に移動して、東日本は東西に圧縮されて隆起し、奥羽山脈や北アルプスなどが形成されました。同時に東日本と西日本の間に伊豆小笠原の火山島が次々と同一地点で衝突し、関東平野が出現し、東日本と西日本が合体して日本列島が誕生したのです。

 大陸から分裂したときの亀裂は絶壁となり、日本海側の切り立った海岸にその面影が残っています。亀裂には金の鉱床が形成され、佐渡の金鉱となっています。日本海沿岸部に深い亀裂が残ったため、富山県沿岸部では深海生物であるホタルイカが獲れます。紀伊半島には火山がありませんが、カルデラ噴火口跡に沿って花崗岩質の巨岩や温泉が環状に点在しています。巨石は神社で信仰の対象になっています。丹沢山地や伊豆半島は、火山島の連続衝突により供給され、富士山が誕生し、高山の風化や河川による浸食作用で関東平野が形成され、広大な稲作地帯となりました。伊豆の相模湾や駿河湾には食い込んだ海溝があり、金目鯛などの美味な深海魚が生息しています。東西圧縮により隆起した東日本の奥羽山脈や南北アルプス山脈は、温帯地域としてトップクラスの降水量をもたらしました。北海道には日高山脈が形成されました。急な清流には、アユなど川底の石についた苔を食べる魚が生息しています。急流の軟水によって昆布の出汁は風味を増します。日本の位置と複雑な地形が、四季、絶景、温泉、豊かな水と生態系を生み出し、日本の和食文化を生み出しました。プレ-ト運動により、日本人は数々の災害を受ける一方で、豊かな自然の恵みを享受できるようになったのです。

秋の昇仙峡

11月に入り、紅葉を求めて昇仙峡に行ってきました。昇仙峡は甲府から車で30分でいける人気の観光スポットです。平日でも観光客でいっぱいでした。11時に近くの無料駐車場に停めて、2時間ほど渓谷をゆっくり散策し、美しい渓谷美を堪能しました。

最近甲府は日中の気温が15℃くらいなので、渓谷は紅葉しているのではないかと期待していたのですが、まだ紅葉していませんでした。見ごろはやはり11月中旬からでしょう。但し渓谷の入り口に紅葉している場所がありました。

渓谷の奥の滝には、記念撮影をするカップルがたくさんいました。滝を過ぎると、水晶などのパワ-スト-ンの販売店や食事ができるお店が立ち並ぶ通りに出ます。スト-ンは市価の半額です。石好きな人は楽しめます。近くに小さい突き上げ屋根がある民家を見つけました。

西沢渓谷ハイキング

朝起きたら雲の間に青空が見えたので、甲府から西沢渓谷に自動車で行くことにした。1時間で無料駐車場に着いた。中高年一団10人と個人3組がいた。10時から渓流沿いに20分舗装道路を歩くと入山管理棟のあるナレイ沢広場についた。さらに10分で立派な旧西沢山荘の前を通過し、絶景の二俣吊橋を渡っている最中に、芝君から産総研に出向するとの電話連絡が入り、現実に引き戻された。すぐに渓流沿いの山道に入った。ところどころ滑りやすい岩の上を歩くので登山靴を履いてきてよかった。
大久保の滝、三重の滝、竜神の滝、貞泉の滝を見て、方丈橋を渡って、1時間ほどで七ツ釜五段の滝に着いた。そこはエメラルド色の滝壺が5個あり、轟音と水煙が上がっていた。急な階段を上がり、12時に滝の上の展望台で昼食を食べた。涼しいが、汗をかいたので着替えた。青空が広がってきたので樹木が美しく見えた。

昼食前から誰にも会わずにトロッコ線路の跡があるトロッコ道を1時間半歩いて元のナレイ沢広場に戻った。トロッコ道は整備されていたが、道幅が2m程度と狭く、左側は断崖だった。針葉樹はほとんどなく、シオジ、カツラ、ブナ、オニグルミ、ツガなどの大木がある明るい広葉樹の森であった。雄大な景色を眺めていると、吸い込まれそうになるので怖い。渓流に向かって立ち望むと足元から頭の後ろまで樹木の緑に囲まれる素晴らしい体験ができた。途中の沢で水筒に水を汲んだ。14時20分に駐車場に戻った。途中の道の駅でピオ-レという品種の大粒のブドウを一房買って帰った。道の駅を出ると小雨が降ってきた。紅葉の季節にまたこようと思った。