大転換

道元禅師は、仏道を習う弟子たちのために、正法眼蔵を書きました。その第一章の現成公案の冒頭の一節に「自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するは悟りなり」という有名な文章があります。

分かりやすく言うと、この文章は「自分の外にある世界を学ぼうとするのは迷いであり、世界の方から、自己の生きざまを反省させられるのが悟りである」という意味です。つまり「自分を中心に世界を見るのを止めて、世界を中心に自分を見なさい」ということです。

例えば、生徒が教室の廊下に落ちているごみを拾っているのを見たら、先生が「ありがとう。おかげさまで廊下がきれいになったよ」と声をかける。子どもが遊びで泥だらけになって帰ってきたときに、母親が「あなたが元気にしていると、お母さんは嬉しいわ」という。あるいは「ブドウの木皿は儲からないけど、廃棄される古木を見過ごせない」というのも世界中心の見方からくるのです。

どうしたら、そういう大転換が起こるのでしょうか?

考えというのは必ず自己中心的です。だから仏僧たちは考えるのを止めて、自分に起こる出来事を観察し続けるのです。それが瞑想です。職人さんは無心で作業する中で自然に体得します。その結果、彼らは、自分の都合に振り回されない、世界全体に調和した生き方に目覚めるのです。

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