パトリシア・バス女史

11月4日はパトリシア・バス(Patricia Era Bath)女史の誕生日です。彼女は眼科医研修を修了した初のアフリカ系アメリカ人です。パトリシアは2019年5月30日に77歳で亡くなられました。

1942年、パトリシアはニュ-ヨ-ク市のハ-レムに生まれました。父親のRupertはNY の最初の黒人の地下鉄の電気技術者でした。母親のGladysはパトリシアに科学実験セットを与える教育熱心な専業主婦でした。パトリシアは4年制の中学校を2年半で卒業し、16歳の頃からがん治療の研究会の助手をしていました。彼女は自分のことを化学オタクだったと回想しています。彼女はハワ-ド大学で医学の学位を取得し、ハ-レム病院でインタ-ンとして働きました。

彼女はハ-レムの患者を無料で治療するように医師たちを説得し、アメリカ失明予防協会(AiPB)を共同設立しました。アフリカ系アメリカ人には緑内障が多く、貧しい区域に住む人々は失明することが多かったのです。彼女は何十年にも渡って、多くの人たちの視力を回復させてきました。パトリシアはUCLAの教授になりますが、黒人女性だということで、不公平な扱いを受け、ヨーロッパに渡り、そこで優れた仕事をしました。1988年に彼女は、46歳にして、白内障のレーザ手術法に関する特許(U.S. patent 4744360)を取得します。これは紫外光のエキシマレ-ザで発熱なく正確に白濁した水晶体を蒸散除去する装置に関する特許です。2000年には、超音波で白濁した水晶体を粉砕し吸い上げて除去する方法も発明しています(U.S. patent 6083192)。

科学者として、運動家として活躍したパトリシアは
「真実の力を信じましょう。あなたの心が多数派の考え方にとらわれないように」
という言葉を残しています。

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