仏教は苦しみをどう考えるのでしょうか?

仏陀の教えは四聖諦と八正道という教えにまとめられています。四聖諦の一番目は苦諦です。これは一切皆苦、すなわちすべての生命にとって生きることは苦しみであるという真理です。苦諦は人生には生老病死などの避けられない苦しみがあることだと理解されています。しかし苦諦とは、こうした人生の節目で出会う苦しみだけでなく、私たちの行動の全てが苦しみによって引き起こされている事実を意味しています。苦諦は、自分ではなかなか気づきにくい真理なので、少し具体的に説明をしましょう。

 私たちの行動にはどんな苦しみがあるでしょうか?例えば呼吸はどうでしょうか?息を吐くと苦しくなるので、息を吸います。息を吸い続けると苦しくなるので息を吐きます。呼吸は苦しみから苦しみへの繰り返しであることが分かります。

 飲食はどうでしょうか?腹が空けば苦しいので食べますが、食べ過ぎると苦しくなります。喉が渇けば苦しいので水を飲みますが、飲み続けると苦しくなります。下痢も苦しみですが、便秘も苦しみです。睡眠はどうでしょうか?眠くなると起きているのが苦しくなるので寝ますが、いつまでも寝ていることも苦しいのです。立ち続けていると苦しいので座りますが、座り続けていると苦しいので立ちます。走り続けることも、じっと動かないことも苦しいのです。退屈すると苦しいのでテレビをつけますが、テレビを見続けていると苦しくなります。勉強するのは苦しみだし、勉強しないのも苦しみです。結婚するのも苦しみだし、離婚するのも苦しみです。遊園地で遊んでいる時にも、ジェットコ-スタ-に並ぶ苦しみや乗る苦しみ、お金を払う苦しみはあるのです。瞑想者は自分がずっと苦しみに苛まれていることに気づいていきます。


私たちは慣れてしまって気づきませんが、私たちの全ての行動は苦しみから苦しみへの運動なのです。もし苦しみがなければ、私たちは行動できなくなってしまいます。こうした苦しみは、全ての生命に現れる、生きるために必要な苦しみです。言い換えれば、こうした苦しみは全ての生命体の生きる力になっています。生きるのに必要な苦しみには思考はありません。

 私たちはこうした小さな苦しみに絶えずチクチクと苛まれているので、大きな苦しみに出会ったときに、それをありのままに受けとめられず、「どうして無実の私にこんな悪いことが生じてしまったのだ」と怒りを爆発させてしまいます。そして怒りがさらなる苦しみを招くのです。

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