マイナス感情との決別

・人間はなぜ悩み苦しむのでしょうか?
 人間には動物的な古い脳と理性的な大脳があります。古い脳は、基本的に内臓の管理をしていますが、快不快の信号を大脳に送り、危険な環境で大脳が適切な行動を学習する手助けもしています。凡人は理性的な大脳の力が弱く、快不快に支配されて行動しています。凡人の大脳は、古い脳から絶えず生存欲を刺激された結果、「私は生きていたい」「私は死にたくない」という生存欲が強くなっています。個人的な見解は生存欲から生じるので、凡人は自分の見解に執着するのです。私たちは自分の見解の目的を達成するために貪瞋痴のマイナス感情を発生させて行為します。マイナス感情に基づく行為は必ず対立的な人間関係を作り出すので、私たちは悩み苦しむのです。生存欲は理性的ではないので、凡人の大脳はいつも疲れており、学習能力が低下しています。凡人は「私は生きていたい」「私は死にたくない」と願う気持ちに深刻な問題があるとは一生気づきません。

・仏陀の勧めた瞑想とはどんな修行法でしょうか?
 仏陀は心を強く清らかに保てば、人間は生存欲を滅し、苦しみを克服できることに気づきました。その方法とは瞑想です。仏陀が勧めた瞑想とは、思考を止めた状態で心身に生じるありのままの現象を観察し続ける方法です。現代風に言えば、瞑想とは大脳に質の高い観察デ-タを連続的に入力する行為です。心身に生じた一つの感覚に注目し、何の感覚かを認識することで質の高い観察デ-タになります。思考を止めるのは、生存欲に起因している思考によって凡人の心は誘惑に弱く汚れているからです。

 凡人は、私の心身が存在するから、「私」が存在すると錯覚しています。瞑想者は「私」は言葉だけの存在で、観察できないことを悟ります。例えばこの身体は、いわば「私の体」であり、「私」ではありません。この精神は、いわば「私の心」であり、「私」ではありません。この身体が生きている現象や、この心が死にたくないと願っている現象は存在します。この身体やこの心は現象なので執着できません。だから苦しみを起こしません。一方「私」あるいは「私の体」や「私の心」は現象として存在していません。現象として存在していない概念や見解には執着できます。だから苦しみを起こします。

 苦しみから解放されるには、マイナス感情と決別しなければなりません。そのためには自己の価値判断や見解に対する感情的な執着を捨てなければなりません。これは大変な勇気が要ることです。凡人は自分一人が苦労してマイナス感情と決別しようとは思いません。仏陀は弟子たちに仲間と一緒に助け合って成し遂げなさいと指導しました。

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