持続可能な縄文社会

山手線の田端駅の近くに中里遺跡があります。ここには100m×80m×4.5m厚さの巨大な貝塚があります。その貝塚にはカキの層とハマグリの層が繰り返し規則正しく堆積しています。焼き石を投入して水を沸騰させて貝のむき身を取り、大量の干し貝を生産し、内陸へ供給していたと推定されています。接着剤やヒスイや海貝なども流通していました。つまり縄文時代には分業や流通網があったことになります。

典型的な村は5~6軒程度の住居で、人口は30人程度でした。縄文時代後期の遺跡から出土した多数の人骨群は1000年の時間幅をもつことから、縄文人は、狩猟採集民でありながら、極めて長期間、定住していたことが分かってきました。近年では遺跡周囲の野生のマメやクリなどが大型化していた事実も明らかにされ、彼らは海や山の多くの資源を管理していたと考えられています。

縄文人は農耕に頼らなくても適度な人口規模で消費規模を低減させ、自然の回復力を維持していました。さらに集団の中で労働を分担して、遠隔地とネットワークを作り、持続可能な社会を安定に営んでいたのです。こうした縄文時代の社会の仕組みは、環境破壊や資源の浪費が叫ばれる現代社会の将来を考える上で、私たちに大切なヒントを与えているように思われます。

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