ABO型血液型を発見した人は誰でしょうか?

ABO型血液型を発見した人はオーストリアの病理学者カール・ラントシュタイナー(Karl Landsteiner, 1868年~ 1943年)博士です。ラントシュタイナーは1900年に血液の凝集実験を行い、ABO型血液型を発見しました。1922年にユダヤ人迫害を逃れるために渡米し、1930年に血清学および免疫化学への貢献によりノーベル医学・生理学賞を受賞しました。1940年には弟子のウィーナーとともに新たな赤血球抗原である「Rh抗原」を発見します。ユーロ導入以前の1000シリング紙幣には1997年以降、彼の肖像画が描かれていました。

ABO型血液型発見の経緯

1889年に北里柴三郎(1853-1931)は破傷風菌の純粋培養に成功し、翌年、ベーリングと共に破傷風菌の毒素を無力化する「抗体」を発見し、血清療法を確立しました。ラントシュタイナーが凝集実験を行ったのは、その抗原抗体反応がほぼ解明された時期にあたります。
ラントシュタイナーは、イギリスの病理学者シャタックの「肺炎患者の血球と別人の血清を混ぜていた際に凝集があった」という報告を聞いて、これが正しければ肺炎の診断に利用できないかと考え、追試を行いました。そこで自分を含む22人の健康な同僚の血液を血球と血清に分けて互いに混ぜ合わせる実験を行ったのです。当時は細菌学が全盛で、新しい細菌がしばしば発見されていました。血液の凝集が肺炎菌などの微生物によるものである可能性もありました。そこでまず健康な人の血液で実験を行い、赤血球と凝集反応を起こす抗体が別人の血清に含まれている可能性を調べたのです。

実験の結果、血液の凝集反応は健康な人同士でも起こりうる生理的現象であり、肺炎診断には使えないことが分かりました。しかし凝結には規則性があり、そのパタ-ンはA型とB型とO型の3つに分類できることが分かりました。これは実験対象者にはAB型の人がいなかったからでした。AB型は1902年に同僚の研究者によって発見されました。ちなみにラントシュタイナー博士の血液型はA型でした。血漿中の抗体がグループ外の血球にある抗原を敵とみなして攻撃した結果、凝集が生じることが解明されたのです。これによって運を天にまかせるような輸血が科学に基づく安全な輸血に変わりました。科学の偉大な発見の多くは予期しない実験結果によるものなのです。

残念ながら、発表当初は基礎医学分野の地味な論文として受け止められ、大きな反響はありませんでした。しかし1910年ごろ、アメリカのモスらが、輸血の死亡事故の主な原因は、ラントシュタイナーが指摘している血液型不適合によるものであると宣伝したことにより、血液型を輸血に応用する動きが急速に高まり、輸血の死亡事故は激減しました。戦争では輸血は兵士の命を救う技術になりました。

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