アイアンロード1~知られざる文明の道~

4月26日14時30分にNHK・Eテレでアイアンロード~知られざる文明の道~後編「激闘の東アジアそして鉄は日本へ」が放映されました。愛媛大学の村上恭通(やすみち)教授と笹田朋孝准教授らが中央アジアやモンゴルの遺跡調査で製鉄炉と鉄器を発見し、匈奴と漢の争いに鉄製武器が与えた影響を解説しました。
製鉄法は、紀元前12世紀にヒッタイト王国が滅亡した後、紀元前8世紀頃に中央アジアの遊牧民スキタイに受け継がれていきます。遊牧民にとって鉄ナイフは肉を割き毛皮を剥ぐのに有用です。
紀元前200年に匈奴(モンゴル)の冒頓(ぼくとつ)が白登山の戦いで漢の劉邦に勝利します。劉邦は匈奴の策略にかかり周囲を包囲され、軍師陳平が冒頓の妻に賄賂を送り、何とか脱出しますが、戦いに負け貢ぎ物を送ることになります。紀元前133年には漢の武帝が反撃して、屈辱を晴らします。
文字を持たない匈奴が強かったのは、匈奴の馬術と製鉄技術にありました。匈奴は地下式製鉄炉をつかって高度な鉄製武器を生産していました。匈奴の矢尻を再現すると、それは8mの距離から、鎧に見立てた厚さ3mmの銅板と羊のあばら肉を貫通する威力があることがわかりました。2段式矢尻の三枚の突起は対称に加工され、高い貫通力と与傷範囲を有していました。
武帝の時代の遺跡から、高さ4mの高炉と小型の炒鋼炉が見つかっています。1.4トンもの鉄製橋脚が発掘されています。高炉の鉄は炭素成分がおおいので、武器にするには脆弱でした。炒鋼炉で1200℃で内部の炭素を酸化させて排出し、強靭な鉄を作る技術が開発されました。再現実験では鉄鉱石80kgと木炭200kgから30kgの鉄が得られました。上側から空気を供給し温度を保つために少しづつ鉄鉱石を炉に加えます。
鉄は牛耕用の鍬に用いられ、漢の堅い大地を10倍速く耕起できました。鉄官という役所の木簡記録には、鉄製鍬を普及させるように書かれています。漢は食糧の増産に成功し、大型の鉄剣や鉄戟を大量につくり、軍事力を強化してゆきました。
匈奴の遺跡からは銅鏡などの漢製品が出土しています。戦争もありましたが、殆どの時間は匈奴と漢は交易をして、お互いに必要なものを得ていたのです。

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